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人口が減るということについて、あらためて考える
人口が減っている。
この事実を前にすると、多くの人は不安を口にする。
経済が縮むのではないか、国力が落ちるのではないか、将来が暗いのではないか――。
だが、そもそも人口が減るという現象は、そんなに特別な出来事なのだろうか。
宇宙を見渡せば、永遠に増え続けるものなど存在しない。
星は生まれ、輝き、やがて老いて消える。
地球の環境も、生命も、常に変化の途中にある。
生命とは、変化のただ中で、しばらく形を保っている現象にすぎない。
そこにあるのは「静止した安定」ではない。
変わり続けながら、かろうじて均衡を保つ――
いわば動的な均衡である。
人類の人口も、この例外ではない。
近代以降、医療や技術の進歩によって人は長く生き、数を急激に増やした。
だが、それは自然界でしばしば見られる「増えすぎ」の局面だったとも言える。
増えすぎれば、やがて反動が来る。
出生率が下がり、人口が減り始める。
これは破綻ではなく、むしろ均衡を取り戻そうとする動きだ。
人口減少とは、失敗の結果ではない。
爆発的に増えたあとに必ず訪れる、自然な調整過程なのである。
人の一生を思い浮かべてみると、このことは分かりやすい。
人は生まれ、成長し、働き盛りを迎え、やがて老い、世代を譲る。
この循環があるからこそ、社会は更新され続ける。
壮年期は、創り、決断し、前へ進む力を担う。
老年期は、経験を蓄え、次に手渡す役割を担う。
どちらが欠けても、循環は滞る。
ところが現代社会では、長寿化と少子化が同時に進み、
この循環が歪み始めている。
支える側が減り、支えられる側が増える。
これが、いわゆる「人口オーナス」と呼ばれる状態だ。
だが重要なのは、
人口オーナスの正体が「高齢者が増えたこと」そのものではない点である。
高齢者が増えると、医療や介護に多くの資源が使われる。
その分、子育てや教育への投資は後回しになる。
結果として、子どもは生まれにくくなる。
長寿化と少子化は、実は同じ均衡調整の両輪なのだ。
それにもかかわらず、
人口減少だけを「異常」と決めつけ、
出生率の数字だけを押し上げようとする政策が繰り返されてきた。
これは、流れそのものに逆らおうとする行為に近い。
同様に、地方創生策も、根本の原因が少子化であるのに、それぞれの地域が少ない子供取り合いをしている。しかも若者は就職機会や、多様な文化への出会いを期待して都会に向かう。自然な流れに抗う政策に効果は期待できない。
本当に深刻なのは、人口減少そのものではない。
問題は、変化を受け入れない社会の姿勢にある。
日本の多くの制度は、人口が増え、経済が拡大し続けることを前提につくられてきた。
年金、医療、雇用慣行、都市構造――
それらをほとんど変えないまま、人口だけが減っている。
人口一億二千万人を想定して設計された社会を、
八千万人規模で無理に動かそうとしている。
この無理こそが、社会に重くのしかかっている。
これを「人災オーナス」と呼ぶことができる。
自然な人口変化に対して、制度と意識が抵抗した結果として生まれた負荷である。
社会保障は現役世代に過剰な負担を課し、
雇用慣行は失われた30年間定年延長を続け、若い世代の挑戦機会を狭め、
政治や組織は新陳代謝を失った。
経済の停滞や将来不安は、人口構成よりも、
この「抵抗の選択」から生まれている。
では、どうすればよいのか。
答えは単純で、同時に難しい。
人口減少を前提に、社会を作り替えることである。
そのためには、世代の役割を見直す必要がある。
生と壮、老のあいだに、もう一つの段階を設ける。
たとえば55歳から75歳までを「熟」と位置づけ、
競争や意思決定の最前線からは一歩引きつつ、
社会基盤や地域、エッセンシャルな仕事を支える中核層とする。
若い世代は創造と挑戦に集中し、
熟した世代は支えと調整を担い、
老いた世代は経験を伝える。
それぞれが役割を持ち続ける社会は、
縮みながらも、しなやかに強い。
社会保障も、単なる「保護」ではなく、
参加と役割を前提とした仕組みに変わっていく必要がある。
人口が減るなら、社会の規模、インフラ、企業数も賢く縮めればよい。
それは衰退ではなく、成熟である。モノ志向からの脱却である。
人口オーナスは、自然の流れである。
人災オーナスは、その流れに逆らった結果である。
変化は破壊ではない。
減少は終わりではない。
それは、次の秩序へ移るための準備期間なのだ。
拡大から成熟へ。
量から循環へ。
抵抗から適応へ。
この転換を選び取れるかどうかが、
これからの社会の姿を決めていく。
人口が減る時代とは、
社会が賢くなるかどうかを試される時代なのかもしれない。