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知の花咲けど、実の一つだになきぞかなし
――ノーベル賞とリーダーの不在――
ノーベル賞の受賞者は世界でも屈指、研究成果も国際的に高く評価されている。
大学や企業の研究室には、日夜光る頭脳が集まり、分子とか量子レベルで世界の謎を解き明かしている。
これを「知的資本」と呼ぶなら、日本の蔵にはまさに宝が満ちている。
知の投資に力を入れるべきだという声が高まることが期待される。
開発者よ、リスクをとってチャレンジせよと。
ところが、国の歩みは重く鈍い。
経済成長は停滞し、社会の活力も年ごとに衰える。
知の花は咲いているのに、実がならないのはなぜか。
原因は、知を使う側――つまりリーダーたちにあるのではないか。
経営者はリスクを避け、社内の序列を守ることに心を砕く。新しい挑戦よりも「波風を立てぬ経営」が称えられ、会議の空気を読めば昇進し、意見を述べれば浮く。
そんな組織に、創造は根づかない。
人材の選抜もまた、内輪の論理で決まる。能力より「顔」を見る。
上司の好む言葉を覚え、忖度を磨くことが、出世の要諦と化している。
政治もまた似た構図だ。議員の三割が世襲、内閣大臣で六割、首長もまた同じ苗字が並ぶ。
まるで「未来」ではなく「家系」を継ぐような国政である。
血筋や派閥を守るための政治は、変化を恐れる社会を生む。
結果として、優秀な人材がリーダーとして立つ道が閉ざされてしまう。
思えば、知識とは、使う人によって力にも無力にもなる。
いかにノーベル賞を重ねようとも、その知恵を社会に生かす構想力と胆力を持つ者がいなければ、知は空転する。
この国の停滞は、知の欠如ではなく、知を動かす人の劣化にある。
チャレンジするのは、経営者であり、高い視点を持つ政治家である。
吉田兼好がもし現代に生きていたら、きっとこう記しただろう。
「才ある者多くして、用いる人少なし。
世は、器を磨くより、器を選ぶ目を失えり」と。
リーダーとは、安定の上に眠る者ではなく、未知に踏み出す勇を持つ者だ。
人類は20万年、未開の地に可能性を見るべくリーダーの下、開拓を続けてきた。
内輪の平穏を守る人選の果てに、国は緩やかに沈む。
知の花を実に変えるためには、まず、リーダーを選ぶ目を変えねばならぬ。
以上